3.20 オウム真理教とその根源、そして社会に染み出す宗教のエッセンス

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今朝は3月20日ということで霞ヶ関駅に行ってきたが、献花台の前に多くのメディア関係者が集まっていた。

今日は地下鉄サリン事件から22年の日である。無論3.11も印象的な日であるが、僕にとっては3.20も人生に大きな影響を与えている。

 

22年前のこの日、霞ヶ関駅に通じる3路線(丸ノ内線日比谷線、千代田線)に猛毒のサリンが撒かれた。

 

撒いたのは新宗教団体オウム真理教の信者であり、幹部には理工系の高学歴信者が名を連ねていた。

 

僕はまだ小学生だったが、当時の状況をありありと思い出すことができる。

 

地下鉄サリン事件の後はメディアがオウム一色に染まり、朝から晩まで教団の施設(サティアン)や風変わりな修行(水の中で息を止める、土に生き埋めになるなど)、教祖の空中浮遊などが報道された。


それは時に面白おかしく取り上げられ、教団幹部がワイドショーでコメンテーターと激論を繰り広げるなど、とにかく彼らはメディア映えした。

 

そしてまた、オウム以外の部分でも世紀末を思わせる文化が流行した世相だった。

 

・オカルトブーム
→ 当時はまだオカルトブームが残っており、テレビでは怪しげな超能力者や霊能力者が出演したり、疑似科学を取り上げる番組が定期的に放送されていた。
今では超能力はほとんどトリック、UFO映像は素人が作ったネタ、疑似科学には再現性が見られないことが露呈しているものの、当時はそれなりに真実味があった(これは主に演出のせいである)。

学校の怪談ブーム
→ 小中学校では学校の怪談が流行し、「トイレの花子さん」「テケテケ」といった噂話に子供たちは熱狂した。
まさに95年には映画「学校の怪談」が公開されて大ヒットした

ノストラダムスの大予言
→ 「1999年に世界が終わる」という予言が世間を賑わせ、信じるかどうかは別として多くの人の心に留まっていた。

 

これらをまとめると、テレビでは怪しげなオカルト番組が放送され、学校では子供たちが怪談話に心ときめかせ、そして多くの人が世紀末に訪れる世界の終わりに思いを馳せていた世の中だった。

 

多分にもれず僕もオカルト少年として育ち、学校からの帰り道、リコーダーで尊師マーチを吹いて怒られたり(音楽の授業を真面目に受けたのはこのためだったと断言できる)、プールで息を止めて遊んでいたりした(今思うとよく死ななかったものだ)が、ノストラダムスの大予言をきっかけにオカルトネタばらし派に転向したのは何度か書いた通りである。

 

このようにオウム真理教にもオカルトにも多大なる興味を持っていた僕だが、オウム真理教とオカルトがどう結びつくのかについては長いこと明確に説明できなかった。
これはハマったのが子供の頃というのもあるが、オウム真理教というものが一体どこに根源を持ち、その根源が他のどの事象に関係しているかについて分かりやすく書かれた本に出会わなかったことも大きい。これについて話せるようになったのは、読書会も行った、宗教学者大田俊寛氏の著書を読んでからである。

 

オウム真理教が若者を惹きつけたのは、「特殊な修行を行えば、常識を越えた超能力を身につけることができる」という考え方を広めていたためであり、瞑想(や時には飲み物にこっそり混ぜられたLSD)を通じて神秘体験を得た若者が心酔していった(これも今ではある種の状況下では多くの人に起こる状態であることが分かっている)。
この「ヨガや瞑想によって超能力を身につける」という思想は阿含宗という新宗教を経てニューエイジ、そして神智学へと辿り着く。この思想がUFOやマヤ暦などのオカルト、高次元霊とのチャネリングといったスピリチュアルの元ネタになっていることは以前にも書いた。

 

90年代とは状況が大きく変わり、オカルトは下火となり(今はネットですぐにインチキがばれる)、新宗教アレルギーも根深いために「これはある宗教の...」と言われるだけで受け入れられなくなる世の中であるが、今もなおそれらを大幅に薄めた形で(特に「宗教ではない」という触れ込みで)エッセンスが世の中に染み出している。それはロハスでありスピリチュアルであり自己啓発であり代替医療であり、マルチ商法であり疑似科学である。例えば近所に「EM菌で服がキレイに!」などと謳っているクリーニング店があるのだが、彼らは、あるいは3.11以降EM菌を持て囃した人々は、それがもともと世界救世教という新宗教と深いつながりを持っていることを知っているのだろうか。恐らく知らないだろうし、知っていても表に出すことはまずない。こうしてそのルーツが知られることのないまま要素だけが世に広まってしまう。僕はここに大きな欺瞞を感じずにはいられないのである。

 

オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義

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