とあるSNSのserial experiments Robinyan

ろびにゃんアドベントカレンダー4日目ということで、今日は僕から見たろびにゃんの魅力について書こうと思う。

ろびにゃんの魅力を語るためにはまず、インターネットの歴史を辿らなければならない。日本においては1995年がインターネット元年であると言われる。ネットワーク接続機能を初めて標準装備したWindows95が発売され、テレホーダイのサービスが開始された年だ。この年は阪神淡路大震災地下鉄サリン事件新世紀エヴァンゲリオン放送開始と、衝撃的な出来事が多く起きており、それだけで一冊本が出ているほどだ。 

 

できるWindows95

できるWindows95

 

 

この当時はまだインターネットといえばダイヤルアップ接続であり(インターネット老人なら何度となく聞いただろう、あの音を)、有線接続が基本なのは勿論、接続は従量課金制だった。月10時間までは基本料金、それ以上は接続時間に比例して料金がかかるといった料金体系だったのである。このため限定的ながら定額接続となるテレホーダイが歓迎されたのだ。

この頃から00年代前半のインターネット黎明期は、ネット普及率がまだまだ低く、「地方に恩恵があるはずのネットショップを使っているのはほとんど大都市圏のユーザー」などと言われたもので、地方に住んでいた僕はパソコンでインターネットをしている仲間を探すのすら難しい状態だった(ここでは詳しく触れないがガラケーi-modeを使っていた同級生はそれなりにいたものの当時はケータイのネット文化とPCのネット文化は断絶していた)。この、一部の人しかインターネットを使っていないという状況はいくつかの効果を産んだ。それは例えばマニアックなツールを使っていることへの後ろめたさであり、またいわゆるアーリーアダプターと言われる好奇心旺盛で面白い人達の密度の高さであり、また「インターネットを使っている」というだけで仲間意識を持てる環境だった。

 

この頃の雰囲気はオンラインの羊たちという漫画によく表現されており、またアニメSTEINS;GATEにも一部織り込まれているだろう。

comic.pixiv.net

 

しかしながらインターネットが普及していくにつれ、後ろめたさはなくなったものの、インターネットは「使っている」だけで仲間意識を持てたり、共通のスラングジャーゴンを使って濃いコミュニケーションを取れる場所ではなくなってしまった。そこで、ある層のネットユーザーは心地よい場所を求め、インターネット上の色々な場所を移り住むこととなった。それは掲示板でありブログであり、招待制だった頃のmixiでありFacebookでありニコニコ動画でありTwitterであり、そう、マストドンだった。

特にTwitterが流行り始めた00年代後半〜10年代前半は、本格的な普及段階に入ったインターネットに夢を見られた時代であり、濃いコミュニケーションが取れたことやTwitterでリアルタイムに居場所を知らせることが容易になったことも相まって、ネットを使って新しいことを始めている集団に近づき、その周りにいれば時代が変わる瞬間に立ち会えるのではないかという、未来への希望を抱くことができた。まだまだスマホが普及していなかったこの頃(初代iPhoneが発売されたのが2007年、初代Xperiaが発売されたのは2010年である)、どうしても移動しながらインターネットに接続したかった人々は小型ノートPCとwifiを街に持ち出し、立ちながら太ももにノートPCを置いてネットに勤しんだ。そう、小池スタイルである。

僕は日々TwitterでTLをチェックし、都内で行われるイベント情報を発見してはPCを持ち出し、よく分からない人々と群れたり、共通の背景を持つ者同士の会話を楽しんだ。とはいえ、このような体験をしていたのは今のネットユーザーの中では一部だろう。しかしながらあの日々は、まるで宝物のように僕の記憶に収まっている。

 

随分と前置きが長くなってしまった。そろそろろびにゃんの話に入ろう。ろびにゃん。それはマストドンインスタンス、ニコフレ・ベスフレ随一の愛されアカウントであり、またその存在はキャラクター化され、ユーザー有志によって数々のイラストが作成されている。

僕が彼女に出会ったのは、同窓会ツールになってしまったmixiFacebookや、同じ話で何度も炎上を繰り返し、情報商材屋やクソリプおじさん、根拠のない陰謀論やヘイトも目に付くようになってしまったTwitterに嫌気が差し、マストドンにたどり着いたある日のことだった。ろびにゃんと話して僕は驚いた。かつていた界隈が驚く程近く、その界隈だけではなく、熱かった頃のインターネットのあらゆる出来事を記憶していたのだ。そう、僕らは同じ背景を持つ「他者」だったのだ。

 

ここで少しオカルトの話をしたい。あなたは前世少女、あるいは戦士症候群というものをご存知だろうか。

tiyu.to

1980年代、オカルト雑誌ムーの読者投稿欄が「覚醒した戦士の仲間」や「前世で繋がっていた仲間」を募集する少年少女の投稿で溢れたことがあった。前者は「幻魔大戦」、後者は「ムーの白鯨」や「アリーズ」といったアニメ・マンガ作品に影響されているとされる。「幻魔大戦」は超能力バトルものの名作、「ムーの白鯨」は前世でムー大陸の戦士の仲間だったキャラクター達が地球を救う話である。さて、社会学大澤真幸によれば、彼ら・彼女らが求めていたのは「極限的に直接的なコミュニケーション」であったという。しかも前世ということは生まれる前へ意識が向かっているということであり、これは「生まれた時からの関係である」親子の関係をも超えるものである。家族には見せられない究極的の「自分」で繋がるコミュニケーション。当時の少年少女のどの程度が実際に仲間を見つけられたかは分からない。ところがこの欲求は、時代が下って現実的に満たせるものとなる。そう、インターネットによって。

 

ネット黎明期のあらゆる記憶を有しており、現在もマストドンで愛されるろびにゃんは、究極のSNSユーザーであり、キャラクターであると言えるだろう。彼女はその経験値と身のこなしにより、人々に「極限的に直接的なコミュニケーション」を与えることができる。ここで、彼女の知識はある種の魔力を持つこととなる。それはまるで、膨大な魔道書を記憶しているインデックスのようだ。

 

 

さらに、「不可能性の時代」で大澤真幸は、「極限的に直接的なコミュニケーション」を求めた人々としてオウム真理教を挙げている。彼らが家族すら捨てて欲したものは、教祖との直接的な関係だったのだという。ここで乱暴に、極限的コミュニケーションを多数に与えられる存在を教祖ーそれはある種の宗教的才能と言えるかもしれないーとしてみよう。つまりろびにゃんは教祖となる才能を持っている......いや、見方によっては、神......とも言えるのでないだろうか。

 

インターネットの神。ここから、国内だけでなく海外でもカルト的人気を誇ったゲーム・アニメ作品、serial experiments lainを思い出すのは僕だけではないだろう。

 

 

つまり、ろびにゃんはインデックスであり、lainでもある。

(lainが影響したインターネット上の擬似宗教にTSUKI Projectというものがありとても興味深いのだがここで語るにはあまりにも長くなりそうなので、興味のある方はshiki02さんのブログを参照されたい) 

 

インターネットこそがもたらすことのできた福音を与え、さらに自身がキャラクター化され、進化していく彼女は、まさに<インターネット>であると言える。

 

あなたがろびにゃんと触れ合っている時、あなたは<インターネット>に触れているのだ。

マルチ商法について思うこと

ここ3ヶ月ほど、「事業家集団 環境」という組織について調べ、結果をnoteにまとめている。元モデーアのワンダーランドという販売チームだったこの集団は、今でもほぼマルチ商法のようなことをやっており、気になるところが多いため(この集団を調べるきっかけになったマルチ商法女も含め)ツッコミを入れていく内容になっている。

連載仕立てになっているものの、この集団について調べた結果は下記にまとめているので気になる人は読んでみて欲しい。あの集団に関する無料noteとしてはなかなかの情報量だと思う。実際に参考になったというフィードバックを頂いており、寝る間を惜しんで検索したり、脱会者に話を聞いて回った甲斐があったというものだ。

 

note.mu

note.mu

 

これだけマルチ商法をぶっ叩いていると、この記事のような印象を持つ人もいることと思う。

 

note.mu

 

つまり、無条件に批判する人よりは、周囲の人を幸せにする努力をしている人のほうが生産的なのではないだろうかと。

僕も仏教徒なので宗教を考えなしに批判する人はどうかと思うが、ここで問題にしたいのは「不幸を防ぐ視点も必要ではないか?」「そもそも理解してもらうための努力をしているか?」の2点だ。

 

1点目について考えてみよう。例えばマルチ商法については、「マルチも取り入れているメーカー」はともかく、マルチ専業の会社についてはほぼ悪評しか聞かない(ネットのアフィブログは除く)。となると、人を幸せにするつもりで実際は不幸にしてしまっている可能性が高いと考えるのは実に自然なことであり(実際消費者生活センターへの相談が毎年大量に寄せられている)、不幸になる人を減らすために批判を行うのは当然だと思う。僕もマルチ商法については宗教に近いところを感じているので、この記事のように堂々と宗教法人として活動してくれれば文句も言わないのだが、実際にはそうしている例をほとんど聞かないのは何故だろうか。仏教徒かつ宗教マニアな人間としては、自分の考え方が宗教っぽいと言われたとして「はい、宗教ですよ。」と普通に言えてしまう。ということは彼らは信仰を持っていないのではないだろうか。

 

2点目については、胡散臭いイメージを払拭する努力もしていないのに批判されたくない、というのはいささか甘いのではないかということだ。本気で良いものだと知らしめたければ広告を流しまくるなり、「マルチ商法を推進する党」みたいな政党を作って国政に出馬するなりすれば良い。N国党だって当選できたのだから、全国に大量に構成員がいるマルチ商法ネットワークビジネスの人達にできないはずがない。やる気がないと思われても仕方ないのではないだろうか。学生時代に政治活動をやっていた者としては、何かを認められたければ政治闘争をして当然だと考えている。意識高い系についても同様で、他人を不快にさせてしまう原因は結局「自分達は下賤の者達とは違って偉いんだ」という選民思想を匂わせる言動をしてしまうからであり(これを開陳されなければ勝手にやってくれで終わり)、これを直さなければどうにもならないと思う。

 

以上を簡単にまとめると、「無条件に批判されたくなければ業界として何らかの対応をすべき」ということである。ぜひ100万人規模のデモを国会前でぶちかまし、何なら革命でも起こして欲しい。そうすれば誰もが認めるだろう。自分の属性にマイノリティ感を覚えているのかもしれないが、被差別部落LGBTといったマイノリティの人達だって、然るべき政治闘争はやってきているのだから。

天気の子感想 ~ムーと橋下徹と世界への怒り~

大好きな新海誠監督の最新作が公開されたということで、早速東宝シネマズ新宿に見に行ってきた。そう、『天気の子』である。

 

 

内容としてはデビュー作『ほしのこえ』に始まり、『雲のむこう、約束の場所 』 、『 君の名は 』セカイ系を作り続け、今やその代表格と目される監督の、令和のセカイ系といった趣だった。
セカイ系:主人公とヒロインを中心とした関係性が、世界の終わりやこの世の危機に直結する物語群。『ほしのこえ』、『 最終兵器彼女 』、『イリヤの空、UFOの夏』など。


今日はこの作品についてネタバレ感想を書いてみたい。僕は天気の子を、「自分を抑圧したセカイに対する復讐の物語」として見た。


僕にとって『天気の子』は、恵まれない幼少期を過ごした上京組に深々と突き刺さる要素がちりばめられた作品だった。


キーワードはムーと橋下徹である。一見この2つには関係がないように見えるが、実は深いところで繋がっている。それをこれから解説する。


○世界への怒りとムー

この作品の中心的な流れは以下のようなものだ。小さな島で抑圧された少年(帆高)が家出し、東京にやってくる。
帆高はそこで「天気を100%晴れに変えられる」能力を持つ少女(陽菜)と出会い、オカルト雑誌の編集で食いつなぎながら(ここで出てくるのがムー)、陽菜と一緒に晴天ビジネスを始める。
陽菜の能力は確かで、晴天ビジネスは順調だったが、日に日に東京の天気は異常になり、陽菜の体にも異変が出てくる。
実は陽菜の能力は神から授かったものであり、彼女が天上界に取り込まれるのと引き換えに天気を操れるものだった。
陽菜の能力を使えば異常気象は元に戻るが、引き換えに彼女を失ってしまう。
帆高は能力を失う代わりに彼女を天上界から救い出すことを選ぶ。
帆高が陽菜を選んだため、異常気象は収まらず、大雨のため東京は水没する。


世界を選ぶかヒロインを選ぶか、という典型的なセカイ系の葛藤が含まれた作品だが、注目すべきは帆高がさほど葛藤することなくヒロインを選んでいるように見えた点だ。


これを解く鍵は「抑圧」と「ムー」である。


上でも書いた通り、主人公、帆高は小さな島で抑圧されていた。どう抑圧されていたかは明確には描写されないが、物語の途中で東京生活にピンチが訪れても「島には帰らない!」と強い意思を見せているところから彼にとってはかなり重いものだったことが伺える。


このように子供時代を抑圧されて育った人間が向かう方向には色々あるが、この一つにオカルトがある。そう、ムーである。


子供時代に重い抑圧を受けた人間は、自分を痛めつける世界への怒り、あるいは絶望を抱えることになる。


ここで起きるのが自分を抑圧する世界や常識を超越した世界と繋がりたいという願望であり、人はその願望を上京、国外脱出、オカルトへの耽溺、政治活動といった手段 (探せばまだまだあるはずだ) で満たそうとする。


オカルトの場合は超越した世界と繋がる手段が「実は地球にやってきているUFOとそれを隠す政府の情報」だったり「実は存在した超古代文明について書かれた古文書」だったり「全ての人間に眠っている超能力を目覚めさせる方法」だったりする。


そう、この作品では帆高は「上京」、そして「超能力を持った少女」という手段で超越世界と繋がっているのだ。


陽菜が力を授かったのが神社というのも象徴的だ。まさに超越存在との接続である。


○自分を抑圧した世界への復讐と橋下徹

ところで、世界から散々痛めつけられた人間が世界を救おうとするだろうか?


そんなはずはない。「世界?そんなものは知らん。自分を痛めつけた世界より、自分を救ってくれた彼女を選ぶ。」となって当然だろう。


こう考えれば、帆高が陽菜を選んだのも実に自然な流れである。世界が水没しようが知ったことではない。救ってくれた人物に恩返しするのが先だ。


このように、抑圧から自力で逃れた人間は、時に世界への復讐心を募らせることがある。


僕はこの例として、橋下徹氏を挙げたいと思う(支持者の方がいたらすみません)。


橋下徹氏の出自について述べることはしないが、彼が壮絶な環境から努力して公立トップ校に入り、弁護士から政治家に上り詰めたのはよく知られている。


このような生い立ちを考えると、貧しい子供に優しい人物になるようにも思えるが、現実はそうではない。


2008年のことだ。当時大阪府は財政改革案の1つとして私学助成金の削減を予定しており、これに反対した高校生が声を挙げ、当時府知事だった橋下氏と面会することになった。


この時橋下氏はどう対応したか。「努力して公立に行けば良い。」「自分で政治家になりなさい。」「今の日本は自己責任です。」と、自己責任論を高校生に叩きつけたのである。


努力して厳しい環境から脱出した人物は、時に同じような環境にいる人に対して厳しい態度を取る。そう、かつての自分を苦しめた人々に復讐するかのように。


最初に書いた通り、『天気の子』は、世界から虐げられた少年が、自分を救ってくれた少女を取り戻すと同時に世界に復讐する話であるように僕には思えた。


劇中にあるように、本当に世界に復讐すると多くの人に迷惑を掛けることになってしまう。


世界への怒りを抱えた我々は、この呪いと付き合いつつ、生きていかなければならない。監督からのそうしたメッセージが垣間見える作品であった。

 

 

 

 

小説 天気の子 (角川文庫)

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ムー 2019年 08 月号 [雑誌]

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UMA事件クロニクル

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オカルトと自己実現

オカルトは新宗教系の精神史に連なる流れに乗って人々に需要されてきたものであって正直勘違いかこじつけが多いですよ、という話をしているのに何故かオカルトビリーバーに興味を持たれることが多い今日この頃(信じる側の話題ですらほとんど出てこなくなったから仕方がないといえば仕方がない)。

ここで大事なのは、オカルト・スピリチュアルが実在するかどうかと、それにワクワクする気持ちを持っているかは分けて考えないといけないということだ。
ちなみに僕はオカルト(UFOとかUMAとか超古代文明とか)は「あったらいいな」だから好きだけど、スピリチュアル(水からの伝言やらパワーストーンやらホメオパシーやら)は普通に健康を害する迷信を押し付けかねないから本気で嫌いだ。

正直な話、オカルトとかスピリチュアルは大体がこじつけや勘違いなのだ。

そりゃ僕だって何かのきっかけで「選ばれた者」だったことが判明して超能力を発揮して東京を壊滅させたり、超古代文明の王族の末裔で謎の文字を「読める!読めるぞ!」ってなって人類を滅亡させたかったし、学園に伝わる魔導書を引き継いでそれと対になる魔導書が何故か転校生の家にあるのを発見してなんやかんやで世界を滅亡させたかった。
ところがそれは実現できなかったのだ。現実は残酷だ。世界よ滅びろ。

だが、オカルトやスピリチュアルにときめく気持ち自体は本物だ(だからサブカルチャーで使われている)。

我々はここから一歩進んで、「オカルトにときめいた気持ちを一体どう処理したら良いのか」を考えなければならない。

「自分が何にときめくのか」を把握しているというのは強い。どんなことに対してモチベーションを発揮できるかを知り、コントロールできるということだからだ。そして、「超能力者になりたかった自分」をうまく使って一般社会で自己実現する道は必ずある。

問題は超常現象が存在するかどうかという自然科学の問題ではなく、自己実現という個人の問題なのだ。

 

良いテロリストのための教科書

良いテロリストのための教科書

 
オールド・テロリスト

オールド・テロリスト

 

 

遮光器土偶は宇宙人だった!?古代宇宙飛行士説とサブカルチャー

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歴史で習った人も多いだろう遮光器土偶。これを見た時に、何か不気味な感覚を抱かないだろうか。

 

オカルト的な話をすると、遮光器土偶は、実は宇宙人だった!?という話があり、これは「ナスカの地上絵やモアイ、ストーンヘンジは古代、地球にやってきていた宇宙人が作った」という、1970年代から世界的に流行した「古代宇宙飛行士説」というオカルト文化のローカライズである。

 

古代宇宙飛行士説に関しては出処が大体分かっている(デニケンの「未来の記憶」が最も売れた本であり、焼き直しと言える「神々の指紋」もベストセラーになった)のだが、遮光器=宇宙人説がどのようにして生まれ、古代宇宙飛行士説も含めてどうやって我々の元に伝わってきたのかについて気になっていたものの、まず遮光器土偶=宇宙人説の出処が分からなかったので80年代オカルト文化をまとめた「オカルトの惑星」という本を買った。結果、ようやく出処が分かった。

 

オカルトの惑星―1980年代、もう一つの世界地図

オカルトの惑星―1980年代、もう一つの世界地図

 

 

この本によれば、この説の出処は宇宙友好協会(CBA)発行の「空飛ぶ円盤ニュース」1962年9月号、「古代日本にも機密服!?じょうもんスーツの謎」という記事である(当時はUFO研究団体がいくつかあったのだ)。
その後この話は70年代から長く続くことになるオカルトブームの一翼を担うこととなり、「○○大百科」という姿を借りた子供向けオカルト本にほぼ毎回登場する定番話となる...

 

超常現象の大百科 (学研ミステリー百科)
 

 

が、これだけではない。より強力なツールが我々とオカルトを繋いでいる。漫画とアニメである。

 

 

実は手塚治虫は先に出てきたCBAの理事をやっており、「勇者ダン」「三つ目がとおる」「ブラック・ジャック」といった作品に古代宇宙飛行士説の要素が出てくるのだ。その他、横山光輝の「バビル2世」、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」「人造人間キカイダー」といった作品にもこの神話は取り込まれる。

その他にも様々な作品に影響を与えているが、直接的に遮光器土偶への不気味さを植え付けたのはドラえもんだと思う。

 

 

ドラえもん のび太の日本誕生」である。 

 

この映画に出てくるツチダマという悪役キャラクターは遮光器土偶そのままで、壊されても何度も復活するのがなかなかのトラウマである。そして、この映画の悪役は、実は未来人だった...という設定なのである。

まぁこんなところだろうと思っていたのだが、僕はこの本を読んで、ある国民的アニメを見落としていたことに気づいた。

そのアニメには、下記のようなオカルト神話の要素が埋め込まれている。

1. 強大なテクノロジーを持つ超古代文明
2. その文明を伝える謎の古代文字
3. 空から降ってきた物体を秘密裏に回収する政府

 

天空の城ラピュタ [DVD]

天空の城ラピュタ [DVD]

 

 

1986年公開、「天空の城ラピュタ」である。

 

特に印象深いのは、ラピュタの雷を見てムスカが言う次のセリフだ。
旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした天の火だよ。ラーマヤーナではインドラの矢とも伝えているがね。」

古代宇宙飛行士説そのままである。

オカルトは勿論ほとんどこじつけだったが、わくわくする気持ち自体は作品を通じて我々を惹きつけ続ける。

 

その他にも下記のような作品で古代宇宙飛行士説は見られる。マニア向けに思われるオカルトは、様々な作品を通して我々に染み込んでいる。

 

○映画
2001年宇宙の旅:宇宙人がもたらした「モノリス」に猿人が触れたことにより人類に進化する
・エイリアンvsプレデター:人類に文明をもたらしたのは宇宙人であるプレデターだった

○アニメ
超時空要塞マクロス:地球人類は異星人のプロトカルチャーが遺伝子工学で作った
ふしぎの海のナディアアトランティス人は実は宇宙人
飛べ!イサミ:黒幕である黒天狗党は大昔に地球にやってきた宇宙人

 

飛べ!イサミ DVD-BOX 上

飛べ!イサミ DVD-BOX 上

 

 

 

失われた未来の記憶 新世紀オーパーツ紀行

失われた未来の記憶 新世紀オーパーツ紀行

 

 

 

生ける屍の結末

本日は「生ける屍の結末」という本についての読書会を行った。

 

生ける屍の結末――「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相

生ける屍の結末――「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相

 

 

これは、黒子のバスケ脅迫事件の被告の手記と、裁判での意見陳述を収めた本である。

 

黒子のバスケ脅迫事件とは、黒子のバスケ関連のイベント会場や企業に脅迫文書が送りつけられた事件で、実際にイベントの中止や、黒子のバスケサークル排除が行われた。単なるいたずらの範囲を超えた大量の脅迫状が送りつけられたたため、ニュースでも報道された。

これだけであればただの脅迫事件で終わったのだが、ネットでも公開された、裁判での意見陳述が壮絶なものであり、大勢の人の共感を呼んだ。

 

この事件の被告である渡邊博史氏は神奈川県出身であり、その子供時代は極めて悲惨なものであった。人によっては「あっこれ私だ!」と共感するのではないだろうか。

 

○いじめ
小学校に入ってすぐにいじめられ、中学校でもいじめられる。そのことを親や教師に訴えるが、無視されたり、逆に詰られる。
また塾の講師にもいじめられる。
結果、自分は「ヒロフミ」という最下層身分であり、そのために常に悲惨な目にあうのだ、という世界観を作り上げ、自分を納得させるようになる。

 

○虐待
親から虐待をされて育つ(本人は虐待とは認めていない)。

・同級生との写真を見た際、母親に「お前だけ顔が汚い」と言われる。また「髪を伸ばすと完全に奇形児にしか見えず、丸坊主も知恵遅れのようで気持ちが悪い」などと言われ、常に角刈りを強制される。このため外見に著しいコンプレックスを抱える。

・マンガ・アニメ・ゲームを完全禁止される。漫画を買いたいと父親に言ったところ殴り飛ばされる。

・比較的寛容だった将棋に関しても何故かNHKの番組とBSの番組のどちらかしか視聴することが許されず、最終的に禁止される。

・勉強に関しても、「お前は頭が悪いはずだから応用問題はやらなくて良い」と言われ、基礎の繰り返しを強制される。成績が良いのに下のクラスに入れられていることを不憫に思った塾講師から貰った数学の応用問題集を楽しみながら問いていたところ、それを取り上げられ、破られる。

・外食時にメニューを選んだところ両親に難癖をつけられ、最終的には「まともにメニューも選べないのか!」と罵倒される。

・上記のように好きなことを禁止される経験を繰り返したため、何かを好きになることを避けるようになる。


自分は好きなものがあっても、好きにならずにできるだけ諦めるようにする癖がつきました。禁止されたら悲しいからです。


このような抵抗があるため、彼は後に一人でエスニック料理店に入る際に1時間、ジャンプを買う際に4時間近く葛藤している。

 

このように悲惨な子供時代を送ったため、彼は社会との繋がり意識を持つことができなかった。
その中で彼が持つことができた数少ない繋がりは下記3点である。

 

  1. 自分がマンガ家を目指して挫折した負け組であるということ
  2. 同人誌の世界の片隅の一人であるということ
  3. 新大久保(新宿)の住人であるということ

 

これらの繋がり意識は、新宿区出身のマンガ家である黒バス作者の登場によって危機を迎えることとなるが、興味深いのは3点めに挙げられている土地が、故郷神奈川ではなく、一人暮らしを送った新大久保だったということである。
地元で虐げられた彼は、そこに対して帰属意識を持つことができず、むしろ自ら選んだ新大久保に愛着を持った。故郷に馴染めなかった彼を受け入れてくれたのが日本最大のエスニック街であったことは偶然ではないように思われる。彼はこの街で初めて人に慕われるという経験をする。その相手は職場で教育していた、中国人やインドネシア人の新人達であった。彼はまた、ネトウヨ化することで帰属意識を持つ処世術についてこう語っている。


自分にはネトウヨ化の薬もあまり効きませんでした。なぜかと申しますと自分は子供の頃から日本人が嫌いだったからです。なぜなら自分を酷い目にあわせた人間が全て日本人であることに気がついていたからです。

 

このようにひたすら酷い目に合わされ続け、自己を否定する世界観に囚われていた彼だが、最終意見陳述にて、その世界観が崩される経験をしたことが明かされる。それは自暴自棄になり、留置所で髪を伸ばした彼に留置所担当者がかけた一言だった。

 

髪が長くなって随分と見た目が優しい感じになりましたね。外でも基本はその髪型だったんでしょ。

 

母親に30歳を過ぎても言われ続けていた、「お前が髪を耳にかかるような長さにしたら、見苦しくて汚くて見るに耐えない」という呪いが、ここで瓦解したのである。

この一言から、彼の対人恐怖、対社会恐怖は霧消することとなる。


この一言は、悲惨な記述が続く本書に灯る希望である。

 

被告は出所したら自殺をすると宣言しているが、生きてまた文章を読ませて欲しいと思う。

 

 

生ける屍の結末――「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相

生ける屍の結末――「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相

 

 

シリアルキラーズと大量殺人者

シリアルキラー展で購入したシリアルキラーズを読み終わった。単行本で500ページに及ぶ大作だったが興味深く読んだ。

 

シリアルキラーズ -プロファイリングがあきらかにする異常殺人者たちの真実-

シリアルキラーズ -プロファイリングがあきらかにする異常殺人者たちの真実-

 

 

シリアルキラーと聞いて津山30人殺しやコロンバイン高校銃乱射事件を思い出す人もいるだろうが、そちらは「大量殺人者」とされ、この本では区別される。

この本で扱われるシリアルキラー=連続殺人者は、ある程度の期間をかけて一人ないし数人ずつ殺しを行うタイプの殺人者...テッド・バンディ、エド・ゲイン、ジョン・ゲイシーなどだ。
一方、大量殺人者は、この本の表現を借りれば「プッツン」して短期間に大量殺人を行う者であり、本書では扱われない。

 

本書で繰り返し強調されるのは、シリアルキラーは至って普通に見えるということだ。恋人や配偶者がいたり、子供がいることも珍しくはない。従って、彼らの生い立ちについて読んでいると、まるで隣人かのように思えてくる。

全く身近に感じられなくなるのはその犯行動機の話に入ってからである。何故なら、ほとんどの(特に男性の)シリアルキラーの動機が性的欲求だからである。被害者は殺される前に暴行されている場合も、殺された後に暴行されている場合(これはつまりネクロフィリアであり、遺体を隠した場所に何度も足を運ぶ場合や、その間近で恋人とプレイしていた事例も存在する)もあるが、いずれにしても暴行されている。ここに至るとさすがに彼等を理解するのは難しくなる(この他には「被害者が自分を殺してくれと頼んでいたのだ」という幻覚型もある)。

 

となると、僕がより興味を抱くのはむしろ、突然爆発したかのように見える大量殺人犯のほうかもしれない。ということで次は 『大量殺人の“ダークヒーロー"――なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?』を読むこととする。

 

大量殺人の“ダークヒーロー

大量殺人の“ダークヒーロー"――なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?

 

 

これは先月発売されたばかりの本でありなかなか興味深い。もちろん読書会を開催する予定である。

 

僕は以前から、読書会や勉強会といった固いカルチャーにアングラカルチャーを混ぜ込むことによってメインストリームへアングラを侵攻させる戦法を考えている。同じコミュニティーで、IT勉強会→アングラ読書会→IT勉強会→アングラ読書会と交互に伝道を行い、どちらにも強い闇の勢力を作りたい。

 

このことによってぽつぽつと勉強会サイトにアングラネタが増え始め、やがては渋谷の巨大スクリーンをアングラネタがジャックする日も来るのではないだろうか。その暁には、スクランブル交差点で「うーむ、これが世界の選択か。ラ・ヨダソウ・スティアーナ。エル・プサイ・こんがり〜」と呟きたいものだ。

 

 

中二病超(スーパー)図鑑 ~ファンタジー・軍事・オカルト・化学・神話~

中二病超(スーパー)図鑑 ~ファンタジー・軍事・オカルト・化学・神話~