デカい一発を求めて。~連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ~
少し前に、「十年残る本」に関する話題がTLにぽつぽつと登場したことがあった。 その時、僕がまず思い浮かべたのは、社会に歓迎されそうな名著やベストセラーではなく、この本だった。

- 作者: 鶴見済
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 1993/07
- メディア: 単行本
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その名のごとく自殺の方法について書かれた本で、その内容は物議を醸し、有害図書にも指定された(有害図書に指定されるとさらに売れたりするのだけれども)。 この本も発行から20年近く経つのだが、この中で引用されているある文章は、今でも僕の脳裏にありありと焼きついている。
ボクはいつだって「デカイ一発」を待っていた。20年前学生が暴れていた時、「お、デカイやつがくるぞ!」と思った。アポロが月に行ったり、石油がなくなりそーだったり、ソ連がどっかに侵攻したり、昭和が終わりそうだったり、そのたびに「今度のはデカいぞ」と思った。だけどどれも震度3、ブロック塀が倒れるテード。顔をみあわせ、「すごかったね」で笑って終わりだ。(しりあがり寿『夜明ケ』あとがきより)
僕にとっての「デカい一発」は、ノストラダムスの大予言だった。当時小学生だった僕は、どうせ来ないだろうと思いつつも、「いや、本当にデカい一発が来るかもしれない」と期待しながら布団に入った。 そして何事もなく目覚め、誰一人欠けることなくいつもの授業が始まった時、僕は「どうせデカい一発は来ないんだ」と悟った。 僕が連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダを読み終えた時、頭に浮かんだのは、"ああ、皆デカい一発が欲しかったんだろうな"ということだ。
この本では、識者や当事者へのインタビューを中心に、アルカイダ(の中の9.11主犯グループ)、オウム真理教、連合赤軍の共通点を炙り出そうとしている。 これらのグループの共通点は、社会のメインストリームからの避難場所として機能していたというところにあると思っている。
モハメド・アタは、西欧社会で孤立し、イスラムに傾倒した。
オウムに出家した人たちの中にも、やはり社会が嫌になった人が多数いた。
小学生の頃から「自由、平等、民主主義はウソっぱち」と感じていた永田洋子は、大学でマルクス主義に傾倒し、革命運動にのめり込んでいった。
メインストリームに価値を見出せなかった彼らは、自分達の避難場所を見つけ、殺人を正当化する思想に引き込まれていった。
彼らには、このつまらない社会がひっくり返るような、デカい一発を見てみたい、あるいは実現したい、という願望が心のどこかにあったのではないか。 そのデカい一発は、連合赤軍にとっては革命であり、オウムにとってはハルマゲドンであり、アルカイダにとっては西洋社会への報復だったのだろう。もっと言えば、加藤智大にとっては秋葉原のあの事件であり、ハリスとクレボルドにとってはスクールカーストへの報復だったのではないか。
残念ながらデカい一発は来ないし、社会はそう簡単には変わらない。我々は、自分達の居場所を探しながら、社会を変える努力を地道にしていくしかないのだ。
幼い頃オカルトにハマった僕は、その後理工系に進んだ。デカい一発を起こすとしたら、それはテクノロジーだ。僕はそう信じている。