3.20 霞ヶ関
3.11は東日本大震災の日としてマスメディアでも大きく取り上げられたが、3.20も特別な日であった。
地下鉄サリンからもう17年である。
毎年この日になると、午前八時に職員の皆さんが黙祷をする(twitterでも喪服の職員さんを撮影した写真が多くRTされていた)。
僕も最近オウムについて関心を持っていることもあり、3.20は霞ヶ関に行った。
疲れからか早起きはできず、10時頃到着となってしまったが。
亡くなられた高橋さんは不審な包みを運び出し、漏れ出る液体を新聞紙で拭いた。
千代田線ホーム近くの駅事務室には慰霊柱が設けられ、喪服の職員さん達が取り囲んでいた。既に慰霊式は終わっていたが、場には独特の空気が漂っていた。
慰霊柱を離れた後も、 ここ最近ネットや書籍で地下鉄サリンに関する情報を漁っていたこともあり、いつの間にか「このホームから林郁夫の車両が」「ここで高橋さんが」などと想像しながら構内を歩いていた。
17年前、この駅に5つの方向からサリンが送り込まれた。サリンを撒いた者の中には、医者、東大や早大の物理学専攻出身者などがいた。いずれも理工系の秀才だった。サリンを合成したのは、筑波の大学院で化学を学んだ者だった。
そして今、若い世代を中心にアーレフの信者数は増えており、資産も4億円に上るという(公安調査庁発表・但しアーレフ側からの抗議あり)。
95年に生まれた子供がもう17歳。今年成人を迎えた世代には、あの事件の記憶はほとんどない。