悪徳商法と世間の空気
相手の心を試しているうちは、その人を愛せないよ。- シロクマの屑籠
僕は愛に関する語りにあんまり関心がないのだけれども、何となく読んでしまった。
このエントリの内容は核心を突いているのではないかなぁと思うし、素晴らしいとは思うんだけれども、どうも若干反社会的なところにロマンを感じてしまうせいか(例えばアノニマス騒動などは不謹慎とは思いつつもwkwkしてしまう)、この手の文化?に違和感を覚えてしまう。端的に言うと、
「これ、相手詐欺師だったらどうすんの」
ということだ。
これは自己啓発にも言えることだけれども、世間には
・誰かを愛することは素晴らしい
・健康はお金に変えられない素晴らしいこと
・相手を疑うのは汚いこと
といった「誰もがそう思うでしょ」という前提が溢れている。
それは決して間違いではないんだけれども、一方でやはり気をつけなければならないことが世の中にはある。
例えば僕は、親から
「連帯保証人になど絶対になってはいけない」
「久しぶりにさして親しくもなかった同級生から電話がかかってきたら注意したほうが良い」
と教えられて育ってきたし、常日頃から注意はしている。僕の場合、「○○素晴らしい素晴らしい~」という言葉より、「こんな奴に騙されてはいけない」という言葉のほうが心に響くのだ。
これは僕が長いこと自然科学の世界にいたせいだと思うのだけど、何よりもまず「数字」や「物質」を重視する感覚がある。
例えば「愛」や「恋」について語ったり、考えることに関してはそこまで重要なこととは思えない。だってそれは(あえて言うと)所詮言葉遊びだし、行動に移さない限りは誰にも迷惑はかからないから。
だがモノやお金は違う。お金は、誰かに奪われればしっかりと「減る」。
僕のような人間からすれば、まずモノやお金を奪われないように注意するのが最優先事項なのだけれど、恐らく世間一般では違う。
皆さんは、「詐欺」や「悪徳商法」の情報が流れているのを目にしたことはあるだろうか?多分そんなにはないだろう。少なくとも、「愛」や「恋」の素晴らしさを讃える情報に比べれば圧倒的に少ないはずだ。
そりゃあそうだろう。だって「相手を疑うのは汚いこと」なんだから。そしてまた、「犯罪に巻き込まれないために気をつける行為」でさえ、何だか表立って話しちゃいけない話題ということになっている。
この「相手を疑うのはよくないこと」という圧力が強いばっかりに、
・母親は「オレオレ」と称する赤の他人にお金を振り込み
・マルチの集会に参加した純粋な若者は「こんなに良い人達を疑うなんて」と深みにはまった
一応学校で悪徳商法についても学ぶにもかかわらず、こういう事件が後をたたないということは、やっぱりまず自分の資産をきっちり守ることの大切さを(汚いなどと言わず)しっかり周知したほうが良いんじゃないのと思った。