とあるSNSのserial experiments Robinyan

ろびにゃんアドベントカレンダー4日目ということで、今日は僕から見たろびにゃんの魅力について書こうと思う。

ろびにゃんの魅力を語るためにはまず、インターネットの歴史を辿らなければならない。日本においては1995年がインターネット元年であると言われる。ネットワーク接続機能を初めて標準装備したWindows95が発売され、テレホーダイのサービスが開始された年だ。この年は阪神淡路大震災地下鉄サリン事件新世紀エヴァンゲリオン放送開始と、衝撃的な出来事が多く起きており、それだけで一冊本が出ているほどだ。 

 

できるWindows95

できるWindows95

 

 

この当時はまだインターネットといえばダイヤルアップ接続であり(インターネット老人なら何度となく聞いただろう、あの音を)、有線接続が基本なのは勿論、接続は従量課金制だった。月10時間までは基本料金、それ以上は接続時間に比例して料金がかかるといった料金体系だったのである。このため限定的ながら定額接続となるテレホーダイが歓迎されたのだ。

この頃から00年代前半のインターネット黎明期は、ネット普及率がまだまだ低く、「地方に恩恵があるはずのネットショップを使っているのはほとんど大都市圏のユーザー」などと言われたもので、地方に住んでいた僕はパソコンでインターネットをしている仲間を探すのすら難しい状態だった(ここでは詳しく触れないがガラケーi-modeを使っていた同級生はそれなりにいたものの当時はケータイのネット文化とPCのネット文化は断絶していた)。この、一部の人しかインターネットを使っていないという状況はいくつかの効果を産んだ。それは例えばマニアックなツールを使っていることへの後ろめたさであり、またいわゆるアーリーアダプターと言われる好奇心旺盛で面白い人達の密度の高さであり、また「インターネットを使っている」というだけで仲間意識を持てる環境だった。

 

この頃の雰囲気はオンラインの羊たちという漫画によく表現されており、またアニメSTEINS;GATEにも一部織り込まれているだろう。

comic.pixiv.net

 

しかしながらインターネットが普及していくにつれ、後ろめたさはなくなったものの、インターネットは「使っている」だけで仲間意識を持てたり、共通のスラングジャーゴンを使って濃いコミュニケーションを取れる場所ではなくなってしまった。そこで、ある層のネットユーザーは心地よい場所を求め、インターネット上の色々な場所を移り住むこととなった。それは掲示板でありブログであり、招待制だった頃のmixiでありFacebookでありニコニコ動画でありTwitterであり、そう、マストドンだった。

特にTwitterが流行り始めた00年代後半〜10年代前半は、本格的な普及段階に入ったインターネットに夢を見られた時代であり、濃いコミュニケーションが取れたことやTwitterでリアルタイムに居場所を知らせることが容易になったことも相まって、ネットを使って新しいことを始めている集団に近づき、その周りにいれば時代が変わる瞬間に立ち会えるのではないかという、未来への希望を抱くことができた。まだまだスマホが普及していなかったこの頃(初代iPhoneが発売されたのが2007年、初代Xperiaが発売されたのは2010年である)、どうしても移動しながらインターネットに接続したかった人々は小型ノートPCとwifiを街に持ち出し、立ちながら太ももにノートPCを置いてネットに勤しんだ。そう、小池スタイルである。

僕は日々TwitterでTLをチェックし、都内で行われるイベント情報を発見してはPCを持ち出し、よく分からない人々と群れたり、共通の背景を持つ者同士の会話を楽しんだ。とはいえ、このような体験をしていたのは今のネットユーザーの中では一部だろう。しかしながらあの日々は、まるで宝物のように僕の記憶に収まっている。

 

随分と前置きが長くなってしまった。そろそろろびにゃんの話に入ろう。ろびにゃん。それはマストドンインスタンス、ニコフレ・ベスフレ随一の愛されアカウントであり、またその存在はキャラクター化され、ユーザー有志によって数々のイラストが作成されている。

僕が彼女に出会ったのは、同窓会ツールになってしまったmixiFacebookや、同じ話で何度も炎上を繰り返し、情報商材屋やクソリプおじさん、根拠のない陰謀論やヘイトも目に付くようになってしまったTwitterに嫌気が差し、マストドンにたどり着いたある日のことだった。ろびにゃんと話して僕は驚いた。かつていた界隈が驚く程近く、その界隈だけではなく、熱かった頃のインターネットのあらゆる出来事を記憶していたのだ。そう、僕らは同じ背景を持つ「他者」だったのだ。

 

ここで少しオカルトの話をしたい。あなたは前世少女、あるいは戦士症候群というものをご存知だろうか。

tiyu.to

1980年代、オカルト雑誌ムーの読者投稿欄が「覚醒した戦士の仲間」や「前世で繋がっていた仲間」を募集する少年少女の投稿で溢れたことがあった。前者は「幻魔大戦」、後者は「ムーの白鯨」や「アリーズ」といったアニメ・マンガ作品に影響されているとされる。「幻魔大戦」は超能力バトルものの名作、「ムーの白鯨」は前世でムー大陸の戦士の仲間だったキャラクター達が地球を救う話である。さて、社会学大澤真幸によれば、彼ら・彼女らが求めていたのは「極限的に直接的なコミュニケーション」であったという。しかも前世ということは生まれる前へ意識が向かっているということであり、これは「生まれた時からの関係である」親子の関係をも超えるものである。家族には見せられない究極的の「自分」で繋がるコミュニケーション。当時の少年少女のどの程度が実際に仲間を見つけられたかは分からない。ところがこの欲求は、時代が下って現実的に満たせるものとなる。そう、インターネットによって。

 

ネット黎明期のあらゆる記憶を有しており、現在もマストドンで愛されるろびにゃんは、究極のSNSユーザーであり、キャラクターであると言えるだろう。彼女はその経験値と身のこなしにより、人々に「極限的に直接的なコミュニケーション」を与えることができる。ここで、彼女の知識はある種の魔力を持つこととなる。それはまるで、膨大な魔道書を記憶しているインデックスのようだ。

 

 

さらに、「不可能性の時代」で大澤真幸は、「極限的に直接的なコミュニケーション」を求めた人々としてオウム真理教を挙げている。彼らが家族すら捨てて欲したものは、教祖との直接的な関係だったのだという。ここで乱暴に、極限的コミュニケーションを多数に与えられる存在を教祖ーそれはある種の宗教的才能と言えるかもしれないーとしてみよう。つまりろびにゃんは教祖となる才能を持っている......いや、見方によっては、神......とも言えるのでないだろうか。

 

インターネットの神。ここから、国内だけでなく海外でもカルト的人気を誇ったゲーム・アニメ作品、serial experiments lainを思い出すのは僕だけではないだろう。

 

 

つまり、ろびにゃんはインデックスであり、lainでもある。

(lainが影響したインターネット上の擬似宗教にTSUKI Projectというものがありとても興味深いのだがここで語るにはあまりにも長くなりそうなので、興味のある方はshiki02さんのブログを参照されたい) 

 

インターネットこそがもたらすことのできた福音を与え、さらに自身がキャラクター化され、進化していく彼女は、まさに<インターネット>であると言える。

 

あなたがろびにゃんと触れ合っている時、あなたは<インターネット>に触れているのだ。